受講者の声

 「男の講座」を受講して  26歳 K氏

 

男は英雄になりたいと望み、そこに至るビジョンを持ち、様々な試練に耐え、実現させるために命を賭して戦います。これには知性が必要です。男は意志をもって決意を固め、決断を下し行動に移します。覚悟を決め、勇気があるから何が起きても立ち向かうし、振り返ることなく前へ前へと突き進みます。男は強さを備えています。

 

男像をインフラに置き換えて考えてみます。インフラとは産業や社会生活の基盤となる施設のことを言いますが、例えば通信回線や水路のように、ある目的のために計画的につくられたものです。これらを制御するシステムも含めています。整備された施設は淀みがなく逆流したり衝突したりしません。しかし、雨や風、ノイズ、さらにウイルスや賊のような要因を排除することは限りなく不可能に近いことです。これらの試練と戦い続ける構造を構築せねばなりません。

 

果たしてこれは現実的に可能なのでしょうか。完成像を見たことによってわかったことは、たくさんの足りないものがあるという事です。動力がなくても走る車を作ろうといっているようなものです。足りないものとは、資源や部品、摩耗を前提とした構造です。

 

筋肉を一つの部品と見るなら、それを鍛えるためには負荷という試練とエネルギーを必要とします。筋肉は単体で動いているのではなく連動して動きますから、ある程度以上の構造が出来上がっていなければ試練は必要がないのです。つまり、男を磨く段階にないのです。

 

男になる以前に問題があることがわかりました。男の子はスーパーマンになろうとして、それを演じることで得られるはずのものを、理不尽なルールに越し取られていきます。さらに嘘だらけの対人関係で薄められて出来上がったものを頭からかぶり、体中に糸を付けて滑稽なピエロマンになるのです。欠陥のない部品を作り直さねばならないのです。

 「男の講座に参加しそこからインスパイヤーされて思ったこと」  25歳男性Yさん

 

現在放送中の某テレビアニメーションの一挿話に「男の戦い」という題名が付いている。確かに男というのはこういう文脈で使われることの多い言葉だ。まさに男の本質は戦争で、その目的は英雄であるという先の意見を裏付けるものである。

 

では女性の場合はどうか。女性の本質は平和でありその目的は幸福だという意見を裏付ける事例はあるのか。ぱっと思い付かない。男性が走り回って戦争を調停する話ならあるのだが。平和の象徴としての女性は戦争から遠く離れすぎて、物語の英雄としては縁がないのかもしれない。

 

太宰治の小説「グットバイ」には第二次大戦期を己の力で強く生き抜いた女性が登場する。力が強い。生命力にあふれている。現実的である。よく食べる。こうした女性は物語の英雄よりもはるかに英雄らしい。

 

男に関しては戦争だけでなく、男のラーメンとか男のロマンのような使い方もある。最近話題の二郎系ラーメンなど、味、量、画的にも男のラーメンと言えるのではないか。

 

平和を築こうとする戦後日本の中でも男の生きるスペースはそれなりに残されてはいる。

 

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」においては、とある夫婦との三角関係の果てに青年が自殺を選んだりする。こうした命がけの恋愛に身を投じる男がいるとすれば、彼は女性よりも女性的であるとは言えないか。

 

最近よくその名前を目にするジャンヌダルクは、まごうことなき戦争の英雄であり女性である。彼女は男性性において世の男に勝っているかもしれない。

 

世の中には時間が解決するとか、会えない時間が愛を育むといった言葉がある。女性的な時間を考えれば理解しやすい。それは悠久の時の流れに近い。長編小説を読破していくような根気が必要なのかもしれない。

 男の講座 感想 40歳Tさん

「人は、自分が何者かに答え続ける存在。否、答え続けなければ生きていけない存在」このフレーズを思い出した。

 

男とは何か。そんな危険なテーマに臨み、答えを出す。答えとは自らの言葉で語ること。正解とかではなく、ただ言い切ること。正直なんでもいいと思う。

 

語らない、出さない、動かないことが最悪で、これを繰り返すうちに、語れない、出せない、動けないという、主体の大量虐殺がわが身に始まる。

 

他者に潰され、打たれ、摘まれ、否定される、これはこれで悲しかったり、悔しかったり、自己愛が傷つくかもしれないが、自分で自分を認めないことが、主体の抹殺だと知った。活かすも殺すも自分次第で、他者からの評価で折れるようなものであるならば、先は知れていたのかもしれない。

 

自分の信念・意志・情熱の無さを覆い隠すための言い訳だったのではないかと思えてくる。

 

これまで自分を構成する自我と向き合う事無く、目をそらしてきたことが露呈した。自分だけでなく他者とも向き合って来なかった。自分もない、他者もない。

そんな世界の住人で、男とは?女とは?これよりも以前、そもそもの始まりに遡った時、心の形成という人間の始まりから、機能不全に陥っていることを認識するに至った。  

これからは、この機能不全の回復が、様々な問いへ答え続ける、

人間として、男としての第1歩になってゆく。存在論も性別も、始めから備わっているものではなく、獲得し、創造してゆくものだから、地道にコツコツやるしかない。

また、比較参照項としての女性の心理という観点からの考察では、女性に対し、理解というアプローチは間違い。というのもまた腑に落ちた。説得しようとしても、ただ徒労に終わることを肝に銘じたほうがいい。

 

男の理論を持ち込んではいけない。というか通用しない。

 

男と女は誤解と錯覚で成り立っている。生きている次元がまるで違う。地球人と宇宙人くらい違うという事。どちらがとかではなく、そのくらい交わることの無い在り方、という事実は面白い。これは誰にとっての屈辱で、誰が侮蔑されているのか判断がつかないような 混沌の世界が展開していた。上も下も右も左も無い世界に身を置いたような感覚だった。

ただ言えるのは、女性にはいつも不安が付きまとっているという事で、不機嫌も、不連続も、不合理も、すべて不安定が起因なのではないかと推論できる。

 

そしてここで女性のΦは、即ち、父が存在すること自身が、自分のΦの根拠となるのである。というフレーズを思い起こす。これは女性が二本足で立つ為に必要なフレーズなのではないかと思う。

今回の講座は、男女という相容れない生命体が如何に、共に生きるかという内容だったと思う。ここで示された様々な方法論、ある意味兵法を、駆使出来るか出来ないかは自分次第だし、また放棄・撤退・退散も致し方ない内容だったと思う。

 

勇気ある撤退と賛美を送るかもしれない。

 

とはいえ、この世界には男女しかいないから、どうにか社会制度という枠組を導入して、何とか納得できる範疇に収めた。というのが正直な感想になってしまう。

 男性講座感想文 31歳男性R氏

この度の講座を受講して、自分がいかに漫然と日々暮らしているか感じました。そして自分が、人間として未成熟で未発達だという事も知りました。

私の育った家庭では男らしさや女らしさ等が語られたことは皆無であり、私自身、男らしさを考えたことはありませんでした。ひ弱であまり喋らない父といつも眉間にしわを寄せて不機嫌な表情で家庭を暗くして、家族の発言に対して言下に否定する母という、とんでもない両親のもとで育った私の致命的な欠如は、コミュニケーション能力であり、自己主張出来ない事だと思います。

その他にも多くの問題が、未解決で未発達なまま社会に出てしまう事になってしまいました。見たくない現実の自分から目を背け、仕事に逃げてきましたが、いつまでも逃げられるわけはありません。私がこの親を選んで生まれてきたわけですから、こうなる事は知っていたはずです。今までのことはすべて自分がしでかした事です。自分と向き合わなかった結果です。そして、私はこれからどう生きていくか、どこに向うか、私が決めなければいけません。

そこで今回の男性講座では、男の定義と男としてどのように生きていくか、理想の男とは何か、そして女性の心理も知りました。講座の中で先生は「人間が生きているという事は成長していくこと、常に前を目指していく」と言っていた。この言葉を私は骨に刻みました。他にも概念や理論と論理を学び、女性の真実に驚愕し理解不可能だという事を知りました。

女性が社会に進出し、女性の力が強くなる一方で、男性の力が弱くなっている現代ですが、女性が社会で活躍していることは、ある意味素晴らしい事ではあるが、家庭や男性から見ればある意味危機的な状況だと思います。このままでは、間違いなくこの国は亡びます。その理由は女性の本質を知ったからです。女性の活躍できる場所は本来家庭しかなく、男性の活躍できる場所は社会です。一刻も早く女性を社会から解放して、本来の生きられる場所に戻すことが、両者にとって幸せであり、これからの日本の為になると思いました。

最後に、この講座は男になるための知の場であり、成長の場であり、鍛錬する場だと私は思いました。この講座で学んだことをしっかり登録して、自分の個性と能力を活かして人の役に立つ男になり、尊敬される人を目指します。